こうして言葉を綴ることの重さ
ちらっとみたブログで23日のサイタマでの出来事を知り、詳しく書かれていないか探したが、今これを書いている時点ではみつからず、やっと「人が人を裁くという傲慢さ」が。
私自身、事件の発覚後にサポータのブログを読んで当時の報道に???。
移籍やゴールを決めて活躍しているというニュースを目にしてよかったなと思っていたし、
「人が人を裁くという傲慢さ」を書いた江藤さんの、雑誌に掲載された4ページにわたる記事も読んでいたので、今回の出来事がほんと悲しい。
また、昨年の夏に私も「思いをねじまげられた報道」を書いていたこともあり、ショックも受けた。
私のように外部の人間でさえこんなに悲しいのに、
選手本人、
現在所属しているチームのサポータ、
以前所属していたチームのサポータ、
そして、そのスタジアムにいたサポータの心の中は。。。
ただ、近くてみていた人やダンマクを出した本人の話がわからないので、実際にどういう言葉だったのかもわからずに、こうして今書くことが、いいのだろうかと自問自答もしている。
また、まったく違う意見やまったく反対の意見もあるかもしれない。
どちらにしても、書かれている言葉の向こうの、見えないところに何があるのかあったのかだけは、きちんと見つめていきたい。
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